20150705_a-studio by Yoshizumi Ashikawa on Mixcloud
「iphoneなんか必要ない。」
「iPhoneなんか見ていると頭がバカになる」
「ゲームしすぎるとあほになる。」
このような発言を耳にしたことはあると思う。
新しい技術について批判的な人は時々いて、田舎のおじいちゃんだとかテレビで大御所の芸能人なんかがえらそうに口にしてたりする。
このような人達は、科学的な正当性を主張しているというよりは、
未知なものに懐疑的な姿勢でいることで自分のアイデンティティを保つことが目的だったりする。
こういうアンチテクノロジーじいさんはむかつくのだが頭ごなしに批判するのは気がひける。
懐古主義的なものは自分にもあるし、僕がテクノロジーすげーとか言っていることも自分のアイデンティティを保つ手段ではないとはいいきれないからだ。(携帯なんか必要ないと言っているじじいと、おれtwitterやっててこのアプリとか超いいっすよ?とか言っているやつの胸糞の悪さの原因は近いところにある)
テクノロジー批判の別の真意はひとまず置いておいて、ぼくがiphoneによって失っていた事ついて以下。
昨晩寝る前に、いつも通りiPhoneをいじりながら寝ようとしたらiphoneの電池が切れていた。
(あー今日まとめ見れねえや)と思ってそっと目を閉じた。
そしたらまだ眠れないぼくは昔のことを思い出した。
高校時代の合宿で、他クラスの可愛かった女の子がぼくの隣に座っていきなり話しかけてきてドキドキしたことを。(事務的な用事だった。)
いつもなら、iPhone眺めながらそのまま夢の中に入っていくのでこのような事は久しぶりだった。
小さい頃は寝る前によく妄想していたものだったのだが、こういう妄想の機会が失われていたのだと気付いた。
情報に触れる機会が多すぎてインプットばかりしてしまいがちだ。そしてアウトプットはその垂れ流しになってはいないか。
自分の頭に入れてから、もっとかき混ぜる作業をしたい。